お盆について

 お盆という行事は、中国・日本において古くから伝えられている様々なしきたりと仏教のしきたりが一緒になって今日のように行われております。
 一つ目は、神様や精霊、ご先祖様をお招きするという行事で、お正月に通じるものがあります。御霊をお招きし、ご接待をし、そしてお送りするというものです。お迎えするに当たり、お迎えする場所を清める、できれば新しい精霊棚を造る、そのために毎年新しく生えてくる竹がよく用いられます。準備ができたら迎え火を焚いてこちらですよとお知らせする。あるいは、提灯を掲げてお知らせする。または、お墓まで出向いて家までお連れします。そのときの乗り物として、キュウリで馬をこしらえ、一刻も早く来てくださいという心を表します。棚の上には、香・花・灯明をお供えし、それに、お水・餅・団子や、季節のものであるそうめんや、故人の好きだった食べ物などをお供えします。果物・野菜、また、蓮の葉の上に洗った米に、なす・きゅうりなどを細かく刻んだものを混ぜて盛り付けた水の子と呼ばれるものを供えたりもします。お別れの時には、お迎えしたときと同様に、送り火を焚いたり、お墓までお送りします。お送りするときは、ナスで牛をこしらえ、少しでも長くいて下さいという名残の心を表します。また、精霊流しのように川にお送りするしきたりもあります。一方、精霊の中には、悪いものもいて、それらをもてなしてなだめたり、反対に追い出したりもしました。これに関わるのが、青森や秋田県で有名なねぶたの祭りです。暑い夏の睡魔を水に流すという起源を持つと云われています。ですから、ねむたい>ねむた>ねぶたとなったといもいわれます。また、七夕も禊ぎをする水の神を祭る行事が関わっているといわれています。大文字焼きや花火、盆踊り等は、この一連のおもてなしの一部と考えていただいてよろしいでしょう。

 2つ目は、それまで無事に生きてこれたことを祝い、感謝するという行事です。年末と同じように両親・親戚、お世話になった人々にご挨拶をし、贈り物をし、それまで無事に過ごせた事を感謝し、お祝いするものです。イキミタマといって、長老を中心にして家族親族が集ってお互いの無事をお祝いすることが行われています。このなごりでお盆に帰省をするわけです。また、お中元の中元とは、7月15日のことで、元来は、この日を中心として半年間無事に生きたことをお祝い、感謝するための贈り物を意味したそうです。

 では、仏教では、なぜお盆を行うのでしょうか。仏教のお盆は、盂蘭盆経というお経によっています。盂蘭盆経というお経には、お釈迦様の弟子である目蓮尊者が、修行をして神通力を身につけ、ご両親のご恩に報いようとして、ご両親がどうなっているかを神通力で見たところ、どういうわけかお母さんが餓鬼道に堕ちていました。お母さんは、全身骨と皮になっておりました。驚き悲しんだ目蓮尊者が、すぐに神通力を使って御飯を鉢に盛って、お母さんの所に行き、これを差し上げました。しかし、お母さんが食べようとすると御飯がたちまち火炎となって食べることができないのです。目蓮尊者には、どうすることもできず、お釈迦様にご相談をいたしました。するとお釈迦様は、夏安居(暑く、雨の多い時期に屋内にこもって修行する期間)のときに大勢の僧が集まっているので、衆僧を供養して回向を頼めば、亡き母が救われると説かれました。目蓮尊者が、お釈迦様の云われた通りにすると。亡き母は、その功徳によって救われました。そこでお釈迦様は、未来に於いても孝行のために盂蘭盆の供養を捧げれば、現在の父母は元より遙か昔のご先祖様方にもその功徳が及ぶと申され、それ以降、お釈迦様の弟子たちによってお盆の供養が行われるようになったというものです。この故事にもとづいてお盆の行事が行われるようになりました。日本に伝えられたのは、今から一千三百年前のことです。

 お盆は、故人を偲び、古来から行われてきたように、故人の御霊を一時この世にお招きし、大切な一時を過ごし、お互いの無事をお祝い、祈願する。また、法要によって、苦しみを負っている故人をお助けするというのが、お盆のご供養です。故人への思いを工夫して形に表すことが、お盆のお飾りやお供えとなります。煩雑なしきたりに捕らわれず、まず心を整えてご供養にお臨み頂きたいと存じます。